流れてきて、受け取って、また流す
人とのご縁が繋がると、お互いに<受け渡し>が生じます。
一方的に与えているように思える時でさえ、あなたは与えたぶん、かならず受け取っています。
それは、与えた相手からだけではありません。無数に交差する他のご縁も通じて、巡り巡って受け取ることになります。
その働きには、これまでの輪廻や業、運といった要素が重なり合うため、何が流れてきて、何を受け取るかは、その瞬間に与えた内容だけで決まるものではありません。
この時、流れてきたものを適切に受け取らなければ、その淀みはあらゆるご縁に波及します。
受け取ることができたなら、その淀みのなさも、あらゆるご縁に波及します。
親切にしたら怒鳴られたという時でさえ、その言葉を耳で認識し、頭で理解し、感情的にならずにすっと<流す>ことができたなら、適切に受け取れたと言えるでしょう。
つまり、あなたの身を通して受け取り、流すということです。私たちは、そのようにしてご縁の循環を手助けすることができます。
パイプに浄水器をつける
──話を聞いてあげた。
──荷物を持ってあげた。
──道案内をしてあげた。
このように与えている場面でも、あなたはよく手入れされたパイプのようになり、流れてきたものをその身に通せているかを観察してみてください。
流す前の状態、流したあとの状態の両方を注意深く見られるようになると、なおよいでしょう。
よく心身を整えておられる方なら、どんなものが通ってもその身は汚れず、浄水器のように清らかにしてしまいます。
しかし、あなたはそこを目指す必要はありません。ただ観察すれば十分です。
観察を続けていくうちに、自然と調整が起こり、あなた自身の在り方が変わり始めます。そして、その身は浄水器のようになっていきます。
始まりは、見ることから
この世界の多くの人は、自分が何を受け取り、何を流しているのかを正確には知りません。
しかし、あなたはそれに気づく側に立つことができます。
流したあとに、距離を置くこと、関係を緩めること、応答しないことも、必要に応じた大切な手段です。
そのうえで、「目を向けること」だけは、どうか忘れないでください。